それでも僕は「君が代」を歌う

サッカー好きフェミニストの自己矛盾
サッカー好きフェミニストの自己矛盾、私の場合
サッカーから考える国家感、その他
続 サッカー好きフェミニストの自己矛盾−愛国者であると自負しているkozaruさんのブログからのトラックバック
サッカーを!!一心不乱のサッカーを!!
W杯開幕前後に見ていた上記のいくつかのエントリーに関して、何か書こうと思って放っておいたままだった。
その後、様々な場所で「愛国心」などにからめて語られている。
君が代」については、歌いたくない人は歌わなくていいんじゃないかと。kozaruさんが書いているように、そこでは誰も強制する者はいないし、歌わない自由は充分保障されていると思う。僕も「君が代」を歌わないからといって、その人の職を奪ったり、嫌がらせをする奴らはクズだと思うし、そういう人間は許せない。
ただ、歌っている人間を見下したり、注意したり、排除するムーブメントを起こすことは、結局前述のような連中とやってる事は同じなんじゃないの?
日本代表の試合前に三都主選手やジーコ監督が「君が代」を歌っている姿を見たことをある人がいるはずだ。彼らが「君が代」を歌うのは、彼らが日本という国に対しての敬意をはらっているという事だと思う。「君が代」がどんな歌であろうと、彼らには関係ない。それはまぎれもなく日本の国歌なのだから。試合前の国家斉唱を無視したりする事は、彼らに対して礼儀を欠く行為だと思うので、僕はちゃんと聴くことにしている。


次の試合の相手であるクロアチア。彼らも試合前の国歌斉唱では静粛にしている。その短い国の歴史に反して、彼らの国歌はわが国とは比べ物にならないほどの負の歴史を背負っているはずだ。民族紛争の中、その歌で士気を高めた兵士もいるかもしれない。それでも、彼らクロアチア代表の面々は国歌を歌っている(あるいは静かに聞いている)。果たして、彼らがその間、これから人殺しに行く兵士達と同じような気持ちだというのか?

そんなはずはない。

彼らは、歌うと同時に無益な民族紛争の犠牲になった同士の魂のために祈っているのではないだろうか。そして、自分たちの戦いがそのような戦争などと次元の違うものである事を証明するために彼らは懸命にプレーするのだ。
これから戦うクロアチアというのはそういう高い志を持った国だ。そして、彼らが国歌を歌っている姿を、「君が代」を聴きたくないがためにいっしょに無視するのも失礼な事だと思う。


歌は生き物だ。その中にどんな許しがたい事や負の歴史があったとしても、そこに新しい思いを吹き込めば、歌そのものが変わるかもしれない。僕らがその歌に新しい魂を注ぎ込めばいいのだ。その歌を本当に僕たちの国の歌にするために。

僕らが「君が代」を大声で歌っているのを見て、軍国主義ナショナリズムを思い出すような心も視野も狭い人達など無視すればいい。
僕らが「君が代」を大声で歌っているのを見て、「よしよし」とほくそ笑んでいるジジイどもなど、鼻で笑ってやればいい。
だって、これから僕らの代表が挑む戦いは、彼らが想像しているようなものではないんだぜ。
なぜなら僕らは、たとえ残酷な負け方をしても、彼らのために「良かったね、素晴らしいサッカーだったよ」と笑顔で祝福できるから。
なぜなら僕らは、彼らと一緒に不条理な死を迎えた多くの魂のために祈る事ができるから。
なぜなら僕らは、世界一の彼らに、胸を貸してくれたことに心から感謝できるから。


これから数時間後、僕らは大声で「君が代」を歌う。この歌を本当に僕達の魂を揺り動かすチャントにするために。崇高な意思を持つ素晴らしいチームから勝利を奪う事を祈るために。歌いたくない人は歌わなくてもいい。でも静かに聞いてくれ。そして、一緒に祈ってくれ。

そして、とにかくクロアチアに勝つのだ!