戦うもの無き国の当然の敗北

屈辱的な敗北から数日、色々な意見を拝見しました。今さらではあるけれど、これから書く事は素人の個人的な総括。僕がする必要はまったくないんだけど、個人的にしないと納得できないだけなので、読みたい方だけどうぞ。


彼らの戦い方に闘争心が感じれられないという人は多かったと思う。もちろん彼らは彼らなりのやり方で戦っていたのだろう。それにそんな無責任な事を素人に言われたくないはずだ。でも、僕は彼らは戦ってなかったと思う。いや、正確に言うと、彼らだけでなく、日本中のありとあらゆる者たちが戦っていなかった。

日本サッカー協会及びジーコ監督
彼らに関しては、僕も、稚拙な論理ではあったけどずっと訴え続けていた。同意してくれる方も多いと思う。非常に不透明な経緯によって、監督経験のないがネームバリューだけはあるジーコが監督に選ばれ、徐々に問題があることが判明しても、勝ち続けている事だけを理由に、問題を先送りにして、今のこの結果。最も批判しやすい対象でありながら、批判を免れていた人たちだ。
彼らが戦わなかった事に関してはダバディ氏のブログで詳しく言及されている。非常に明確に、しかしデリケートな問題としてダバディ氏は語っている。彼も以前はその団体に所属していた人間であるから当然の事であろう。
僕もダバディ氏の意見に賛成だ。スポンサーや電通を悪役や戦犯にして、協会といっしょに吊るすことは簡単な事だが、僕はスポンサーや電通は決して悪ではないと思う。彼らのおかげで、代表がオマーンにいようとドイツにいようとブルキナファソにいようとテレビで見ることができる。日本代表の様々な情報をすばやくダイレクトにキャッチする事ができる。感謝することはあっても、彼らを攻める事を我々ができるわけがない。
問題はサッカー協会及びジーコ監督が、彼らスポンサーに差し出すものを間違えた事だ。ユニフォームやレプリカを効率よく売るための作り上げられたスターだったり、テレビ放送に合わせたいびつな試合時間だったり、その他もろもろのビジネス先行の供物たち。もちろん今に始まった事ではない。
しかし彼らは気づいていなかったのだろうか?
日本代表がスポンサーに提供できる最良の物、それは「日本代表が強くなること」なのを。少なくともトルシエ氏と岡野会長は分かっていた。それが前述のような手っ取り早く差し出す事のできるものに比べて、とても時間がかかる難しいものだという事も。彼らは、最良の物を提供するために戦った。そして、その供物は我々にとっても何ものにも変え難い最良のものだった。とても幸福な関係だったといえると思う。
それを引き継いだ者たちがやったことは、意識的なのか無意識なのか分からないが、その4年間苦しみながら生み出した貯金*1を崩しながら、一方で手っ取り早いものを同時に差し出すというとても卑怯な行為だった。もちろん代表そのものを強化する気は最初はあったと思う。しかし、自信を持って連れて来た監督が無能だったと分かっても、何も手をつけようとはしなかった。彼のネームバリューの方を選んだのだ、そしてこうも思っていたはずだ。「自分達はW杯のベスト16までいった国だ。多少、監督に問題があっても大丈夫だろう。」あるいは今回の怠慢のツケを払わなければならない時には、自分たちはもうここにはいないとも思っていたのではないだろうか?今の代表の惨状の原因の一つはこのような奢り高ぶりにあったと思う。
僕がとても悲しく思うのは、川淵三郎という人が決して戦えない人ではないということを我々は知っているという事だ。彼はJリーグのために当時圧倒的な権力を持っていた渡辺恒雄という巨大な存在に戦いを挑んだ。Jリーグの存在を徐々に確固たるものにして、その戦いを優位に進めた状況を残して、日本サッカー協会の会長に就任した。彼は自分の勝利を確信したはずだ。その途端、彼は「もう一人のナベツネ」になってしまった。彼は自分がかつて批判していた人物と自分を多くの人間が重ねて見ていることに気づいているのだろうか?
ジーコ監督に関しては何も言う事はないだろう。自らの能力の無さに気づいていながら、身を引く事もせず、最後まで言い訳に終始し続けた姿は醜悪以外の何者でもない。これ以上語る価値さえないと思う。

・マスコミ
これも見ての通りだ。最後まで「大本営発表」といってもいい報道を続け、結果が出たら掌を返したように批判を始めた一般マスコミ。奥歯に物のはさまったような言い方でしかできなかった専門誌やOB、元関係者たち。ある程度地位を確保し、毒舌を売りにしていた一部のライターは真っ向から批判していたが、彼らには何かを動かすほどの影響力も無く、最後には苦笑いをしながらあきらめていた。
彼らすべては、自らの飯のタネを守らなければならなかった。だから戦えなかったということだ。

・サポーター
僕達にできる事は、声を出して応援するだけ・・という考え方でよかったのか?このインターネットが発展した現代において、大手マスメディアに関係ない場所で、個人の意見を想像を超えた多くの人たちに伝える事のできる状況をなぜ生かすことができなかったのか?早い時期に自らの力のなさを自覚して、あきらめてしまったのではないか?僕達も戦い続ける事ができたのではないか?

・選手達
彼らは少なくともピッチ上では戦っていた。もちろん、4年前と較べるのは4年前の彼らに失礼なほど闘志がこちらに伝わってこなかったのは事実だが。しかし彼らにはもう一つ戦わなければならないものがあったと思う。
素人の我々でも数ヶ月で気づいたのだ、ジーコ監督にチームマネージメント能力が皆無であることは。プロであり代表に選ばれるほどのインテリジェンスを持った彼らが気づいてないなんて事があるだろうか?僕にはとても信じられない。それでも、彼らの中にジーコ監督に異議を唱えるものは現れなかった。ある者は、ただ代表に選ばれるためだけに口をつぐんだ。ある者は、自分がそんな問題に口をだす立場ではないと無視した。ある者は、寵愛される事に意気を感じて、何も言わなかった。ある者は、すぐに気がついたけど、こう思った。
「オレが何とかする。」
中田選手がブラジル戦後、ピッチ上で寝転がったまま動かない姿はとても哀しかった。それくらい彼は頑張っていた。しかし、僕は同情しない。なぜなら、その一人で何とかしなければならない状況を作り出したのは、他でもない彼自身なのだから。彼はいつ頃自覚したのだろうか?自分が中田英寿の仕事だけでなく、戸田や明神や森島や中山、秋田、果てはトルシエの仕事までしなければいけないということを。カナリヤ色のユニフォームを顔にかけて、涙に濡れながら、かつて自分が忌み嫌っていたフランス人が4年前、顔を真っ赤にして自分達だけでなく色んな相手に怒っていた理由をやっと理解したのではないだろうか?彼らほどの地位の確立した選手が、異議を唱え、声を出せば、状況は変わったはずだ。ジーコと俺達のどちらを取るのか?と迫ればジーコは姿を消したはずなのだ。しかし、彼らはそれをしなかった。彼らは自らの責任において大切な4年間を屈辱とほんのわずかな教訓を得るためだけに費やすことを選んだのだ。そういう意味で彼らは戦っていなかった。


そう、勝てるわけはなかったのだ。誰も戦っていなかった。誰もが何とかなると思っていた。4年前の偉業で我々は奢り高ぶっていた。屈辱的な敗北は当然の結末だったとしか思えない。


・これからの日本サッカー
僕は決して悲観はしていない。今回の屈辱は98年やそれ以前の、度々の予選敗退とは比にならないほどの最低の屈辱だからだ。以前は最善を尽くした結果だったが、今回は、けっしてそうじゃない。この屈辱が心や体に染みついている限りは、誰もが上を目指すはずだから。そして、何よりJリーグがある。Jリーグは間違いなく進歩している。気づいていない人間がいるのは、それがほんのわずかづつの進歩だからだ。この4年間、各クラブのサポーターから我々のような代表厨と呼ばれるサッカーファンさえ、多くの人たちの魂を揺り動かすサッカーをしていたのは代表ではなくJのサッカーだった。川淵会長は敗戦後すぐにJリーグに敗戦の責任を押し付けたが、彼はもうJをまともに見てはいないのだろう*2
今回、我々の失ったものは多いけど、同時にこの4年間で間違いなく得たものもある。そして、その中にJリーグで得たものも多くある。今回、闘志も覇気も伝わらなかった選手も、Jに戻れば正しい指導者の下で戦える。自国に素晴らしいサッカーがあることを我々はもっと自信を持つべきだ。


これからの4年間、すべての人たちに戦う気持ちを持って欲しい。サッカーを邪魔する邪悪なものと戦う気持ちを。これからゆっくりと僕達にもできる事を考えていこうと思う。そうすれば、少しづつではあるが、日本のサッカーが、本当に日本の文化として定着する日が来るはずだから。他のサッカー大国に較べれば僕達の今悩んでいる事なんて、遠い昔のことに違いない。だから、少し遠回りしたけどゆっくりと正しい道を進めばいい。
大丈夫だよ、きっと。とりあえず、この前撮ったJ2の試合見ます。やっぱり始まりはそこからでしょ。

*1:4年どころか数十年の貯金といってもいいかもしれないが。

*2:そもそも、代表監督がまともに見ていなかった。今にして思えば、ただ単に彼はJリーグの事を認めていなかったとしか思えない。