先日の続き

先日のエントリーに関して、とりあげた記事へのトラックバックの中にこのようなエントリーが。

3万人3万様の自殺について語れるなら語ってみればいい

正論だと思います。自殺という行為を鬱病の問題のみに限定して語る事は自殺の問題を矮小化してしまうことになりかねない。ただ、id:KoshianXさんの記事は、ご本人がおっしゃっているように、脊髄反射的なものであって、決して自殺問題の矮小化を目的としたものではないようにも思えます。川田アナの自殺は、あくまで川田アナの問題ではあるけど、それをきっかけに様々な人が、それこそ3万人以上の自殺者予備軍の人達が、それぞれに自分の命について考えるきっかけになるかもしれない。
たとえば、先日も言及した僕の友人は、その時書いたように鬱が原因の自殺ではなかったのです。周りの人間は、その原因を何となくではあるけど分かっていて、そしてそれは我々他人ではどうしようもない問題で、彼を救えなかった事に絶望するしかなくて。
でも鬱病が原因の自殺というのは、様々な事例があって、実際に救われた人もいて、本当に絶望的な原因を抱えて自ら命を絶つ人達に比べて、数パーセントでも救える可能性があるんじゃないかと*1。もし身近に鬱が原因で追い込まれている人間がいたなら、その一般論にすがってでも救いたいと僕は思うのです。
「自殺は話の枕で、鬱が本旨」であったとしても、実際に未だに鬱を抱えて不安定な人間が身近にいる僕にとっては、id:KoshianXさんの何とも言いようのない怒りは共感できるものだったし、決して批判されるような記事ではなかったように思うのですが。まあ、それこそ「自殺は個人の問題」であるのと同じように、文章の解釈の仕方も個人個人の違いがあって当たり前なのですが。

*1:もちろん、鬱になるまでにそれぞれの救いようのない個人的事情があるかもしれないということも理解しています。