サブカル野郎は確かにうっとうしいけど、俺達だって似たようなもんかもしれない

おっぱいの件サブカルの件で書き足りない事があったので追記。
個人的には、アイドルにしても何にしてもサブカル界からのスノッブな支持はある程度必要だと思います。支持の対象になる人達にとっては、ただミーハーからばかりの支持ではイマイチ手応えは感じられないんじゃないでしょうか。ミーハーもいて、何かもっともらしいことをもっともらしく語ってくれる人もいて、そのバランスが丁度良いところが一番居心地もいいし、人気も安定する。たとえば今のPerfumeはまさにそのバランスが絶妙で、このあたりは彼女達の周りがうまい具合にコントロールしてるのと、彼女達自身の立ち振る舞いもうまいからじゃないかと。
サブカルのうっとうしさの本質は、id:MWAVEさんがおっしゃっているように、「彼らの中に結論があって、それにアイドルを当てはめている」ようなところにあると思うのです。これは、はるか昔の昭和の時代から延々と受け継がれているサブカル的批評の典型ですよね。でも、それっていわゆるブロガーと言われている人達と何が違うのかって話でもあって。
ブログというメディアの立ち位置は、大手マスコミのカウンターカルチャーという意味では、サブカルとまったく同じだし、書かれている内容も大手よりも規制が少ない分、自らの感情の趣くまま書かれている内容が多い。それが良い方向に向かっていく事例もあれば、上記のようなまず結論ありきのトンデモ理論が出てくる場合もある。「サブカル野郎、うっとうしいよなあ。」とか言ってる自分がもしかしたら似たような独りよがりな文章を書く可能性は充分ある。「天に向かって唾を吐く」ような感じにならないように気をつけないとなと、改めて思った次第です。ま、僕の場合は「おっぱい大好き!」とか「紺野さん、かーわいー」とかしか書けないんで、そんな心配するこたあないのですが。
あと、こちらで一部の人が主張している「じゃあ、『好き』か『嫌い』しか語れないのか?理屈こねたっていいじゃないか?」っていう反論はちょっと違うような気が。たとえば「ショートカットとメガネの女の子が可愛い」ってだけで、こんな笑えて共感できる主張を書ける人や、「女はやっぱりポッチャリが良い」っていうだけでこんな面白い文章を書ける人も、ブログ界でさえいる訳で*1、要は才能の問題でしょう。

さらに追記。
書き終わってからこれを読んだ。サブカルの人達の根源にあるのは、「巨大な才能への嫉妬」なんだなあと再確認。優秀なサブカルの人達が、批評という別の切り口から巨大な才能に一歩でも近づいて拮抗しようと努力している姿は美しいと思うけど、その巨大な才能に乗っかっちゃているだけの輩が多いのが現実で、そういう部分に対しておりたさんの怒りはあるんだと思うよ。

*1:これを面白いと感じるか、つまらないと感じるかは、人それぞれではありますが。