「覚醒剤は愚劣なドラッグである」

と、中島らも氏も言っている。


アマニタ・パンセリナ (集英社文庫)

アマニタ・パンセリナ (集英社文庫)


ここ数日の酒井法子さんの報道を見て、あらためてこの本を引っ張り出して読んでいます。そんな時にこのようなエントリーが。

宇宙飛行士の向井さんや毛利さんだって覚醒剤をやっている。

タイトルがあまりにひどいという事はとりあえず置いておいて、内容に関しては納得できる部分もある。どのような形でドラッグと関わるにしても、正しい知識は必要だし、一部のドラッグを実際に解禁している国があるのも事実ではあるのだけど。
それでもやはり「ダメ、ゼッタイ」的な形で禁止しなければならないのじゃないかと思うのですよ。特に覚醒剤は。

僕はシャブに対して憎しみを抱いている。
それはかなり強い憎悪である。
(中略)
僕がシャブを憎むのは、シャブの存在が愚劣だからである。
ドラッグに関する文章をこうして綴っているが、僕はドラッグには貴賎がある、と思っている。
違法か合法かはこの際横へ置いておく。
(中略)
加えて言えば、ドラッグとは、シャブも含めて、ただの物質である。ただの物質に貴い物質もいやしい物質もない。
個人、及び社会との関係がドラッグの性格を決めるだけだ。
そういう目でながめた場合、シャブはその生い立ち、社会とのからみ、個人に及ぼす作用、どれをとってみても、これは「愚劣なドラッグ」としか言いようがない。


『アマニタ・パンセリナ/ 中島らも ドラッグの二「シャブ」』より引用

この後、あくまでフィクションであるという前置きがあって、自身の覚醒剤の体験を綴っている。
その中身はある意味おぞましい描写で、この文章を読めば「こんなもんに関わる事はやめた方が良い」と思える。しかし、現実の世界には相当な数の人々が覚醒剤の無間地獄に陥っているのが事実。それは、この本の記述にもあるように「何も知らない女子供を狙って、訪販のセールスマンのように、あるいは新興宗教の勧誘員のように、嘘八百で拡販を狙っている」からで、それが「暴力団の資金源になっている」訳だ。
このようなドラッグを指して「たいして被害者もいない」などと言い、いくら釣りとはいえ、日本を代表して重要なプロジェクトに参加している宇宙飛行士もシャブをやってる、というような表現をするのはあまりにも下品だ。こんなやり方、主婦や女子高生に「ダイエットに最適だよ」などという甘い言葉でシャブを売りつけるヤ○ザと何が違うというのか?たとえそこに高尚な想いがあるにしてもだ。
残念ながら、この世界のほとんどは愚民で構成されている。その愚民の一人として言わせてもらえば、たとえ知識があったとしても、僕は薬物の海を溺れずに泳ぎ切る自信はない。ましてかくもおぞましい薬物を、頭ごなしに押さえつける以外にコントロールする術があるとは、僕には思えないのだ。
もちろん中には比較的セルフコントロールのしやすい薬物もあるのだろうけど、それを愚劣なドラッグといっしょくたにして語るのは良くないんじゃないだろうか。