「めくらやなぎと眠る女」村上春樹

めくらやなぎと眠る女

めくらやなぎと眠る女

「像の消滅」に続く、海外での第二自薦短編集。初期〜中期の短編から最後には「東京奇譚集」がまるごと収められている。
そのほとんどが、かつて貪るように読んだものばかりなので、あらためて高額のハードカバーを買う事もないかと思っていたのだが、「回転木馬のデッドヒート」の「野球場」の中で描かれていた劇中小説「蟹」目当てで購入した。それだけ読んでも元は取れないので、あらためて馴染みのあるはずの他の短編も読み返してみたのだが。
村上春樹の短編というのは、そのほとんどが「人はいつか必ず、自分の中にある大切な何かを失ってしまうものだし、その失われたものは決して取り戻す事はできない」という事を執拗に描き続けている。まだ10代後半から20代、30代にかけて、僕はその美しいまでの「喪失感」に引かれて、夢中に読み続けた。しかし、40を過ぎてから改めて彼の短編を読んでみると、その「喪失感」は41歳の僕にはあまりにも重いものだった。
あの当時の僕は、喪失の疑似体験を楽しんでいたのだと思う。若い頃の僕にはくだらない悩みも希望も様々なものが、僕の中に混沌としながら存在していたのだが、まさかその大多数が年齢を重ねるとともに少しづつ失われていくなんて事は、当時の僕には想像もつかなかった。でも、実際に自分が多くのものを失い、それを決して取り戻す事が出来ないという事を、彼の短編を読み進む毎に再確認する羽目になってしまった。
もちろん、その一つ一つが素晴らしい短編なので夢中に読み続けてしまうのだが、同時にかつてと同じ気持ちで読めなくなってしまった自分に正直心が痛むのだ。他の同世代の皆さんはどういう気持で、この短編集を読んでいるのだろうか。

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

ぶっちゃけ、まだ未購入だったこれを買おうかどうか迷ってる。